横浜美術館金氏徹平:溶け出す都市、空白の森」展の
ギャラリー・トークでの覚え書き。

・(土曜日のトークで)木曜の夜中に、今の展示の形が完成した。会期中ずっと変動していた。完成と言われるとまた余計にやりたくなる。去年の年賀メールからプランが始まった。3つの空間。過去、流動的、色々なタイプの空間。
・京都から東京に引っ越しした。アーティストとしてやっていくことに覚悟した。考え直した時期。どんな悩みでも制作する事で解決してきた。ギリギリにならないと伝わらないもの。展示室に仮設の壁を建てないプランが出てきた。与えられた空間を活かす。自分でわざわざ区切って作るというプランが出てこなかった。
・始めの空間は白い空間。物としての白と空白の白の2つの意味。
・タワー/ロンドンに留学していた時のドローイングが元に。あまり英語が出来なかった。英語が出来ないと子供のような扱いをされる。その頃出来たもの。最後の映像作品。はっきりイメージが見えているので最後になった。音は八木良太
・孤独に対してこのままではダメだ。人と仕事をしていこう。意図しないところで、自分の作品が人の作品になっていくことの興味。ライヴなど、その場で全部やりたかった。卓球大会、コーマにプランがなくて怒られた。人と作業出来ない。連絡しなかった。自分がダメなところ。作品を展示していくところが感動的だ、とコーマの人に言われた。これまでコソコソ一人でやっていた。
・材料がない..と言われて、でもあって1時間もかからないで組んだ。パイプと木の作品。6時にカメラマン撮影から、5時から作業、それまで体が動かなくてダラダラ。学芸員の人がまったく迷いがなくて早い、すぐに置く、すぐに決めると言う。
・作品が明確な輪郭線を持っていない。前やったように置いても同じにできない。最近抽象絵画に興味がある。液体状のものをどうやったら彫刻になるか考えていた。液体を積み上げる感覚。抽象画をどう描くか。ルールを見つけて、とりとめのないものをどう形にしていくか。好きな物を作るために、どうゆうルールを作るかが大事。壊れそうなものをやってしまう。ナイーブな模様へ(光ゲンジの歌のよう)。作品を買った人によく壊れると言われる。すぐに直しに行く。
・アーティストをやっていくには、その日暮らしが出来ればOK。10年後、先の事を考えない事。毎日挫折している。乗り越えている。一人で傷ついて揺れ動いている。映画、バスケ、音楽、広く浅く趣味はあった。残ったのは美術だった。どこからもはみ出た人を受け入れるすごさ。あまり楽しい事がない。唯一ものをつくることが楽しい。全部自信作。すいません、揺れ動いていないです・笑。しょっちゅう迷っている。良いと悪いが人によってバラバラ。使いたくなかったものほどイメージがわく。大きいバケツがすごい高いとか、ものに対してもめちゃくちゃドライ。世代とか地域とかは意識しない。

http://www.yaf.or.jp/yma/jiu/2009/exhibition/kaneuji/



圧倒的な物の量に占領された展示室。
プラスチックのバケツ、チリトリ、ボトル、ヘルメットなどが
床いっぱいに敷き詰められ、白い石膏が流されている。
天井から吊るされたり、高く積み上げられた
様々なプラスチック製品は、上から石膏がかけられて
滴り落ちた石膏の雫が水流のよう。
コピーされた沢山のドローイングや写真が線で繋がり、
人骨のようにプラスチックが石膏で組み合わされ、
紙に出来たコーヒーのシミが木やスプーンや布と合体し、
新たな生命を宿したように、ギャラリー内で佇んでいる。
様々な場所に色とりどり液体をコラージュする写真や、
木の枝とプラスチックのパイプが繋がれた作品を見ると、
22世紀の自然にはこんな有機物が自然に生息するかもしれない..
と思ってしまう程、ひっそり何かを主張しながら息している感じがした。
金氏サンが言っていた「どんな悩みでも制作する事で解決してきた。。
10年後、先の事を考えない事。毎日挫折している。乗り越えている。
一人で傷ついて揺れ動いている。。残ったのは美術だった。
どこからもはみ出た人を受け入れるすごさ。。
あまり楽しい事がない。唯一ものをつくることが楽しい。」
などの言葉が印象に残った。
"teenage fan club"はライブ会場でヒントを得て
制作された作品だったんだね。
BeckSonic YouthBoredomsが好きだったという金氏サン。
同じ様な音楽に影響をされ、作品を作っているんだな..と
思うとこれからも気になるアーティストです。
The Laptop Orchestraとのライブパフォーマンスは
どんな感じだったんだろう。。


写真は金氏サンにしてもらったサイン。