アントニオ・ネグリの事はよく知らなくて、
「芸術とマルチチュード」座談会に川俣サンと高嶺サンが
出るという事で、東京芸大で行われた
ネグリさんとデングリ対話」に行って来ました。


以下覚え書き...
始め司会の廣瀬サンが、ネグリについて簡単な説明をする。
70年以降、社会全体が工場になった。
労働の時間、空間の崩壊。
マルチチュードーー国の方向、憲法を国民が作れるようにする事。
社会化された労働者。
一人の店主ではなく、全員が店主になるべき時代。
労働組織、行動組織の対立。プレカリアート
じゃ、対立する芸術とは?


宇野邦一サン
生と力。時間と身体。
1930年代、ベンヤミン
「映画はもう一つの有機的な身体を作り出す」
芸術家の隙間を見つめる努力。
ヒトラー(ナチズム)は政治を美学していたため底が抜けた。


川俣正サン
ネグリから思う事、時間。
隙間、裂け目に興味がある。
ネグリは、パイクやウォーホルを書籍で挙げている。
出口がなくなってくる。ネグリがいう「半自由」
芸術に外はない。枠の中の活動でしかない。
・生産し続ける。結果を出さない
・生産を遅延(遅らせる)
・弱い思考。価値づけをしない
・物質化を無化(物じゃないアート)
・脱力系アート(強くも弱くも出ない)
バイオポリティカル。集団で物を作る。
哲学は語るものじゃない。行動。


高嶺格サン
ネグリの本は全部読めなかった。
自分が住んでいる所はフランスのネグリと違う。
大津は古いしきたりがある場所なのに、近所付き合いがない。
一番嫌いな人が近所にいて、
好きな人が遠い国にいる。(ネットでコミュニケーション)
美術作品を作るうさん臭さ。
劇場の作品の方がフェア。
美術館、人を一人でも多く入れないと解雇される。
人を簡単に呼べる展覧会ばかり。
最近その傾向が強くなっている。少し前の方が良かった。
遠い所の仲間と手を組んで変えていく。


田中泯サン
30年前のダンスの映像流れる中話す。
農業を始めて23年、人が出ていった山の中の集落に住む。
生産と表現の違いは?
停止しても表現、後戻りしても表現。
踊りを職業にしていない。ガタリと知り合う。
ネグリは言葉で統一しようとしている、そこが好きじゃない。


ネグリから思う事を一人一人言った後、
司会の人の独断状態になり、
「種をまく。解けない問いとして生きようぜ。
生そのものが芸術闘争にならなければならない...」
田中サンとすれ違い言い争いになる。
「階級を解きほぐすような言語性を持たないのは何故?」


話しの最後の方に言っていた、諦めの思想(弱い思想)
全ては内部なので、戦わないといけない。
物を考え始める時点で左翼的など、
前日の川俣サンの医療/凶器の問題の話しも気になりました。


日本政府からの突然の入国拒否で、来日出来なかったネグリ氏。
今の世の中、そんな鎖国的な事があるんだ...と
知らなかった私も、さすがにビックリしました。
せっかくのメンバーが集まっているのに、
進行がイマイチで対話になっていなくて、
消化不良気味のディスカッションで、少し残念な場でした。


フランス人ジャーナリストが、代わりにしていたネグリからの質問
「日本でデモをやる時、何故信号を守るの?」
と、いう答えは何だろう。


「路上」の方は後日。。

http://www.negritokyo.org/geidai/